地域の宝もの


昔から各地で大切に引き継いできた地域特有の自然や文化、習俗、産物などの魅力、価値とふれあってきた若いころからの記録。各地の道の駅でも今、かつては忘れられがちだったこの地域資源に、競って光を当てるようになってきた。


山古志村の「中山隧道」

新潟県に昨年の中越地震で全住民離村の辛酸をなめた山古志村(現在は合併で長岡市の一部となっている)という村があります。この村は闘牛と美しい棚田の風景で知ちれていますが、もう一つ、手掘りのトンネル「中山隧道」も大変な歴史遺産です。

 

手掘りトンネルでは「青の洞門」が有名ですが、こちらは長さがその約4倍の100O㍍近くあり、住民総がかりツルハシだけで16年かけて掘り進み、終戦後聞もない頃完成させました。

 

私がとの村にかかわったのはトンネル掘りに従事した古老たちが存命中に、これを記録映画に残しておこうという運動の応援団役をした時です。大雪の積もっている時に見なければトンネルの意義もわからないだろうと、冬にも現地を訪れました。

 

「トンネルがあれば真冬の積雪時でも隣村に行けるのだから、なんとしても通したい」「手掘りなんかではとても無理、やめよう」など、長年の聞にいろいろ論争もあったようです。しかし、そうした葛藤も一つずつ乗り越え、とにかく仕上げてしまった民村共同体の素晴らしい力に感激しました。

 

みずほの国と呼ばれた日本には、昔から各地域に、こうした独特の風土や文化の生み育てた「地域の宝物」があったはずなのです。世の中が大きく変わりつつある今こそ、時を超えても変わらない輝きを持つもの、人の心に直接何かを訴えてくることに目を向け、大切にして次世代へ継承していくよう努めるべきなのだ、と最近強く思っております。

 

役人を辞めた後も個人的に「全国首長連携交流会」や「全国街道交流会議」などNPO活動を続けているのは、こうした地域の宝物を探し、守り育てたいからです。

◆読者から

  • 「地域の宝もの」山古志村のトンネルのお話、子供の頃を思い出しました。山村の田舎へ、学校へ通ずる近道を造るため村人の共同で開墾され、トンネルが造られて学校へ通った道が思い出されました。人の道=人道とは?も共に考えたい。(埼玉県・女性・60歳・団体職員)

≪第0号:2005(平成17)7月≫

由布院温泉 まちづくりへの思い

湯布院は今では行ってみたい温泉の上位にあげられる有名温泉ですが、ここに至るまでには地域の人たちの大変な努力がありました。

 

庄和46年夏、私はアメリカ留学の帰途、ヨーロッパ各地を2か月ほど見て歩いていました。その時、行く先々で日本人の青年3人組に出会いました。

 

まだ海外旅行が珍しい頃ですから、どちらからともなく話しかけると、3人は今や地域づくりの世界では有名な湯布院亀の井別荘の中谷健太郎氏、玉の湯の溝口薫平氏、それに今は故人となられた志手康二氏の若き日の姿でした。

 

彼らは湯布院のまちづくりの方向を見出すべく、海外旅行に出て、田園風景を残したドイツの落ち着いた保養地に感銘を受け、それを参考にまちづくりに努力しようと決意して帰国しました。

 

私は彼らの印象が忘れられず、また汽車、温泉、日本酒を友として旅をするのが大好きなこともあり、翌年早速訪ねてみました。由布岳の麓にたたずむ素晴らしい温泉でした。

 

そうした中でヨーロッパでの見聞が原点となった彼らの努力で、その後の変貌は皆さんご承知の通り、映画祭、音楽祭、牛喰い絶叫大会などいろんなイベントを組み、今や年間来訪者400万人に及ぶ一大温泉地に発展しました。

 

しかし最近は、来訪者増加に伴う交通混雑、地域外からの人や資本の流入による統一性の確保、市町村合併に伴う湯布院イメージの維持など、いろんな問題を抱え曲がり角を迎えています。

 

まちづくりの担い手も第一世代から若い第二世代に移行しつつありますが、30余年前の原点を受け継ぎ、さらにそれを発展させようとする人々がいる限り、湯布院は輝き続けると確信しています。

◆読者から

  • 地域の宝ものとしてにぎわい企画大賛成ですネ。由布院のまちづくりの担い手も第一世代から若い第2世代に移行しつつあるとの事、従来の主導者型まちづくりから市民自身によるまち育てがやがて地球資源を発見し、それに活気を与えて立派な街づくりになっていくと思います。(岡山県・男性・60歳・自営業)

≪第1号:2005 年(平成17年)9 月≫

湯原温泉 至福の砂湯

日本は温泉大国であり世の中に温泉マニア、温泉博士といわれる人も少なくない。中には日本の温泉すべてに入ったという人もおり、数を稼ぐためにお湯に足をつけただけで入ったことにして次の場所に急いだなど、その努力には涙ぐましいものもある。私も温泉好きでは人後に落ちないが、基本は数を稼ぐよりゆっくり泊まって雰囲気を楽しむ主義だ。

 

それでも学生時代から休みといえば汽車に乗って旅に出て、気が向いたところで降り、温泉を見つけては泊まることを繰り返していたので、正確に数えたことはないが200ヵ所前後は訪ねたことになろう。その多くは一回限りだが中には数回訪れたところも少なくない。

 

そうした温泉のひとつ、岡山県の湯原温泉に初めて行ったのは今から45年前だった。姫新線を中国勝山で降り、バスで砂埃を揚げながら小一時間走ったところが湯原温泉だった。今では米子自動車道を湯原ICで降りればすぐだが、昔はなかなか不便なところだった。ここで有名なのが旭川の河原に湧いている露天風呂砂湯である。

 

昔の温泉番付露天風呂の部で西の横綱と言われていたが、私の行った時すでに風呂の上流に湯原ダムの巨大なえん堤が出来ており、いささか目障りであり圧迫感もあるのは残念だ。河川局に文句の一つも言いたいところだが、安全のためにはやむを得ないところか。

 

それでも満天の星のもと三つある湯船を回りながら、えん堤に背を向けて下流方向に足を伸ばしていると、底の小石からお湯が湧いてきて心が休まりまさに至福の時だ。

 

国道からすぐの所なので山陰方面に行く途中、昼に入ったこともあるが、混浴だし女性にはかなり勇気がいる。

 

感心するのは砂湯が24時間無料で開放されているということもあるが、聞くところによると風呂の底の小石を地域の人が定期的に洗ってきれいにしているという。それだけ地域の宝として大切にしているということだろう。

◆読者から

  • 湯原温泉は私もおすすめの温泉地です。女性は入りにくいですが、露天はこうでないと! (京都府・男性・46歳・会社員)

≪第2号:2005年(平成17年)10 月≫

下北半島 恐山温泉 薬研温泉

青森県下北半島に日本三大霊場の一つといわれる恐山がある。ここを初めて訪ねたのも学生時代だった。東北本線野辺地駅から大湊線で陸奥湾に沿って北上し田名部(現在はむつ市、下北-大畑間はすでに廃線)から舗装していない、車の轍がのこる道をバスで小一時間登ったところだ。

 

宇曽利益山湖に面し賽の河原、地獄、三途の川など、いかにも霊場らしい名前をもつ荒涼とした風景が広がる。ここに来れば死んだ人に会えるという話もあり、高齢のご婦人の姿が多かったことが記憶に残っている。

 

この寺の境内に数カ所温泉が湧いている。折角だからと掘っ立て小屋のような温泉に入ったが、霊場の異様な雰囲気とは対照的に、のんびりしたところもあり、乗ってきたバスの運転手が私の後から入ってきたのにはびっくりした。 恐山から5万分の1の地図を頼りに北に向かって徒歩で山道を下り薬研温泉に向かった。当時薬研温泉は大畑から森林軌道でしか入れない全くの秘湯だった。泊った宿も居室については記憶が定かではないが、浴室はランプだったことを覚えている。恐山の湯とは違ってきれいな透明の湯で、山道の疲れもすぐにとれ、秘湯情緒を満喫した。

 

翌日は川に沿って奥薬研まで行き渓流の露天風呂に入り、帰りは森林軌道に便乗して大畑まで下った。40年以上も昔、交通不便でこんな時代もあったというお話しである。

 

最近下北半島は原子力発電、石油備蓄基地などエネルギー関連で有名である。私も公務員現役時代、それらの見学で訪ねたことがある。その折、再度恐山にも行ったが、霊場の雰囲気は変わっていないが温泉小屋は小奇麗なものになっていた。薬研温泉にはその後行っていないが、林業不振の中で森林軌道は廃止される一方、道路が通じバスも運行されている。

 

それでも秘湯の雰囲気はまだ残っているらしい。読者の皆さんもふるさと近代が同居している下北半島をぜひ訪ねていただきたいと思う。

◆読者から

  • 地域の宝もの、私の道等短い文章のものは、すぐ目に止まり、読みやすいです。(栃木県・男性・58歳・自営業)
  • かって倉敷の街と、角館で人力車を曳いているのを見たこともあり、なつかしく拝見しました。「地域の宝もの」は過去に旅したこともあり記憶を深めてくれました。本州最東端の灯台、そして仏ヶ浦と巡った旅が、この新聞を読んで蘇った気がします。(岩手県・男性・77歳・無職)
  • 「地域の宝もの/恐山温泉」3年前に初めて恐山に行って来ました。コンナトコに温泉が?と驚いたことが思い出されました。ゆったりとした気分で入れました。(兵庫県・女性・58歳・パート・アルバイト)

≪第3号:2005 年(平成17年)11月≫

戦後60年、引き揚げのメモリアルイベント

昨年は戦後60年に当たり、全国各地でいろんな催しがあった。広島県大竹市は引揚港の一つで、ここでもメモリアルイベントが行われた。私は台湾からの引揚者なので、昭和21年に大竹港に上陸し、初めて日本本土の土を踏んだ。

 

大竹市長とはNPO法人 地域交流センターの活動を通じて、かねてから入魂だったので、招かれて60年ぶりに再び大竹を訪れた。

 

引き揚げ当時は5歳になったばかりで記憶はかすかにしかないが、引揚船の狭い船底に大勢ひしめいていたことや、大竹駅から母の実家があった熊本に行き汽車の混雑がひどく、動いては止まり、動いては止まりを繰り返し、長時間かかったことをおぼえている。

 

父親がまだ南方に行っていたため、7歳、5歳、3歳の子供3人を抱え、着の身着のまま帰ってい来た母親の苦労は如何ばかりだったかと、今でも思い出されることだ。

 

今回のイベントでは、当時の写真やフィルムの上映を見たり、上陸した地点や海兵団の施設の跡地をバスで回ったりした後、船で会場から大竹を遠望し、船上から海に献花をして行事を終えた。

 

上陸地点は埋め立てられコンビナート地帯となり、海兵団の記念碑も工場敷地内にあるなど、当時の面影は少ないが、イベントに広島県内外を含めて600人前後が参加し、大竹市民の努力で戦後の歴史がしっかり受け継がれていることに感銘を受けた。

 

私も今年で65歳、高齢者の仲間入りだ。近年、少子高齢化の進展、財政悪化の深刻化などから、高齢者と若年層と対立構造にあるかのようにみる議論が盛んだ。社会保障改革は当然だが、引揚者に限らず終戦当時はほぼ成年に達し、今は後期高齢者になっている人々の戦後の苦労を基礎に、現在の日本があることを考えれば、もう少しバランスのとれた議論があってよいのではないか。

◆読者から

  • 連載ものでよい記事がある。「地域の宝もの」「私の道」「み・ち・つ・う・し・ん」「国土学事始め」「なるほどロード」「おもしろ万葉集」など。(栃木県・男性・65歳・無職)
  • 地域の宝ものとか私の道等どれも記事の内容が素晴らしく、感心しました。(栃木県・女性・61歳・主婦)

 

≪第5号:2006 年(平成18 年)2 月≫

北海道の玄関口として頑張れ函館市

函館市は父の出身地であり、糟谷家の墓も函館で最も古いといわれる高龍寺にあるので、墓参りを兼ねて時々訪れるところだ。

 

最初に行ったのはもう半世紀近い昔、大学1年の夏だった。国鉄から北海道周遊券が初めて発売されたころで、確か2千円以下だったと思うが、それをフルに活用して約半月間北海道一周旅行を1万円以下で収めたものだ。

 

鈍行であればどこでも何回でも乗り放題だから、上野発の鈍行夜行列車に乗り、顔を蒸気機関車の煤で真っ黒にしながら、青森からは青函連絡船で函館にわたった。さすがに感慨深いものがあったが、今でも覚えているのは朝方、行商のイカ売りの人が「いが、いが・・・」と濁って叫びながら道を歩いていたことと、函館の人たちが道央や道東をお口と呼んでいたことだ。前者はともかくとして後者については、さすが明治初期に開拓使が置かれた土地の人たちは埃が高いと感心したものだ。

 

昔ばなしはともかくとして最近の函館はどうだろうか。人口30万人クラスの中核都市は全国的にはそれなりに健闘している所が多いが、残念ながら函館は人口減少が目立つ都市の一つだ。航空機全盛の時代になり、また、青函連絡船が廃止されたことで、玄関管口としての機能が低下したことや、主力産業の水産業や造船業の不振が得帰郷している。

 

昨年秋、函館に入って驚いたのは、駅近くの一等地でかなりの空き地が目についたことだ。聞くところによると、函館の中心が駅前から五稜郭方面に移りつつあるということだ。

 

今後さらに心配なのは北海道新幹線建設の影響だ。北海道新幹線は北海道全体の悲願とされているが、青函トンネルを出て木古内を経た後、地理的関係から函館をバイパスし、かなり北部の渡島大野駅に新幹線駅ができる予定だ。しかも皮肉なことに、大野町は函館との合併ではなく別の町との合併を選択して北斗市となっており、函館の玄関口機能に問題を投げかけている。

 

しかし函館の観光観光資源は大変豊かだ。函館山からの夜景の美しさはもちろんのこと、付近の異国情緒豊かな地域の散策もよいし、函館駅近くの赤レンガの倉庫街はきれいに整備されており、朝一の賑わいも有名だ。

 

御料過去後援を見下ろす展望タワーも最近立て直されて、高さ100㍍と、従来の2倍以上となっている。湯の川温泉も良い温泉だし、特にイカ漁の季節に津軽海峡に浮かぶ無数の漁船の明かりを旅館の窓から眺めるのは絶景だ。

 

路面電車が今も健在なのもうれしいことで、これを利用してのんびりまち歩きを楽しむのも悪くない。函館駅をはさんで湯の川温泉とは反対側の路面電車の西側の州手に、谷地頭という駅がある。以前ここで路面電車を降りて、なにげなく周囲を見回すと、市営谷地頭温泉という看板があるではないか。これは見逃せないと早速入って見ると、湯川とは違って土色のいかにも温泉らしい素朴なお湯だった。

 

このような発見があるのも、まち歩きの楽しみだ。その時の印象が忘れられず、昨秋にはわざわざ谷地頭温泉に施設があることを確認のうえ、一泊して土色の湯を楽しんできた。

 

函館は暮らしやすい町なのか、市民の皆さんも何となくのんびりしている印象を受ける。新幹線騒動も良いけれど、海、山、温泉、魚、街並みなど多様な地域の宝ものを活かし、道南の拠点として頑張ってもらいたいものだ。

◆読者から

  • 地域の宝もの(函館市)が良かった。また、エコサイクルシティでは岐阜市が紹介されており、全国的のモデル地区があることを知った。(岐阜県・男性・60歳)
  • 未来に残していきたい道紀行や地域の宝ものの風景等の記事を、これからも多く載せていってください。(長野県・男性・58歳・自営業)

≪第8号:2006 年(平成18 年)7月≫