国土学事始め


日本列島は古来、地震台風など度重なる災害に見舞われてきたが、貧しくてもめげない先人たちの労苦と知恵により今日の繁栄が築かれた。

国土について改めて学び、次世代に的確に継承しようと呼びかける文化文明論。

将来の国民のために 今すべきこと

 

空気のように当然の存在と思っている国土は、列島に人が住み始めた最初から、人の手によるいろいろな働きかけで、安全に住める領域を広げ、生産適地を拡大してきました。国土への働きかりが、安全に暮せ、生産性を上げるなど国土からの恵みをもたちしたのです。国土への働きかけがなければ、国土からの恵沢はなく、恵沢の拡大もありません。国土の特徴については小中学校時代から繰り返し学び、十分知っているつもりになっています。

 

しかし社会資本を国土に展開することを考えたとき、経済的競争相手の世界各国と比較して、その特性を把握できているかとなると、はなはだ心許ない、と考えます。軟弱地盤の状況、河川の流れ方、地震の有無など自然条件だけでなく、土地の保有形態や所有観なども他国と大きく相違し、国土の有効利用に大きなハンディを負っています。これをわが国の国際競争条件として理解していきたいと思います。

 

どの国も厳しい財政事情のなかで、将来の国民のため、安全に暮らせ、効率的に人や物が動き、快適に生さることが出来る国土造りに懸命の努力を続けています。

 

わが国民だけがその努力を怠って、競争に勝てるはずがありません。そのためには〈国土形成の歴史〉や〈自然条件〉〈都市の成り立ち〉に加え、土地の所有観など〈社会条件〉について、他国と比較して把握しなければなりません。私たちの国土環境は山林の自然風景に至るまで、先人たちの努力の成果で成り立っています。

 

全く手つかずなのは、白神山地などきわめてわずかです。私たちは、過去の人々の国土への働きかけという、困難で費用のかかる努力の結果に生きているのです。私たち世代だけがその外に立っていいはずがありません。

 

「公共事業」という言葉では、ストック形成のイメージを持ち得ず、これらのことを想起させることは出来ません。この言葉にダーティなイメージを包み込んでおいて、この言葉で議論が可能だと考えるような浅い議論では、いま私たちがなすべきことは何かが抽出されません。国土への働きかけが社会資本整備の本質であれば、国土への広い理解とイメージをもつ言葉が必要でしょう。「国土学」なる言葉で理解しなければ、と考えた訳はここにあるのです。

 

≪第0号:2005年(平成19年)7月≫

道路とは何のための社会資本か 今こそ、議論を

道路は利権だといった話ばかりが流布して、普段から道路を使っておられる皆様にはずいぶん不信感をお持ちになったり、不愉快な思いをもたれた方も多いのではないか、と配しています。

 

道路の整備は、地域の土地利用を大きく変えたり、産業の配置を決めたりする力を持っていますから、政治の実現過程と言っても過言ではありません。しかし、道路の本来の約割・機能について、わが国では、政治からのメッセージも少ないようです。

 

比較のために、EUの首脳は道路などのインフラについて、最近どのような発言をしているのか、見てみましょう。いくつかの例をご紹介したいと思います。

 

はじめに、ブレア前イギリス首相のコメントです。「優れた交通システムは、経済および社会の繁栄に欠くことのできないものである。(中略)わが国の交通システムは、何十年にもわたって過少投資の状態が続いてきた(2004年10月)」。

 

このコメントは、1990年代における交通や住宅などのインフラ整備に対する過少投資が問題を生んだ、という認識に基づくものでした。こうして最近では、公共投資額を大幅に増額しています。

 

次にイタリアのプロディ前首相の演説を紹介しましょう。「インフラストラクチャーへの投資を怠っては、グローバル化に伴う競争のなかで、イタリアは生き残ることができなくなる(2006年3月)」。

 

これを受けてイタリアでは、07年から始まる交通基盤施設のための大きな投資計画を策定しました。

フランスでは、コペ予算担当大臣の演説です。「05年に交通関係社会資本整備基金を設置したが、その額を引き続き増額する(2007年6月)」。

 

わが国よりも、相当に豊かな交通インフラストックを持っているはずのこれらの国々。何かずいぶん議論の様子が違うな、とお感じになりませんか。

 

いま、利権議論を超えて、道路とは本来何のための社会資本なのか、を踏まえた議論こそ、なければならない、と考えます。

≪第17号:2008 年(平成20 年)2

道路の延長と「質」 

車線数、幅が豊かな外国も

昨年オーストリアを旅行しているときに、高速道路を補修している現場を通りかかりました。往復4車線の橋の、片側2車線分を止めて補修工事をしていました。

 

こんな時わが国では、全体に幅が足りないから上り下りを一車線ずつ絞り、往復2車線を一方の橋に乗せて片側の橋の工事をします。

 

しかし、ここではなんと、速度制限をしながらでしたが、もともと2車線の一方の橋を、4車線として運用していたのです。

 

同じことを昔、ドイツで見たことがあります。これらの国では、補修時にも車線数を制限することなく、つまり渋滞による大きな国民経済的損失を出さずに工事ができる高速道路を持っていた、ということなのです。

 

わが国の大都市には、環状道路が足りない、とよくいわれます。東京には完成した環状道路は、首都高の都心環状しかありませんが、整備中の三つの環状道路の車線数は、それぞれ往復4車線(外環の東京都下だけ6車線)です。

 

しかし、北京の四つの環状道路の車線数は、内側から順に4車線、8車線、8車線、4車線(一部6車線)となっています。また、上海では、五つの環状道路が整備されていますが、同様に6車線、6車線、8車線、6車線、4車線となっているのです。環状道路の本数だけではなく、車線数がまるで違うのです。

 

この事情は、パリでもベルリンでもソウルでも似たようなもので、これらの都市には車線数の多い環状道路があります。ロンドンには環状道路は一つしかありませんが、一部区間は10車線、12車線もの車線数となっています。

 

道路は、延長がよく議論されます。当然のことながら、十分な延長が張り巡らされ、ネットワークとして代替性、柔軟性、リダンダンシー(ゆとりある予備的施設)に富む道路網が形成されることは、地域の活力にとって最も重要であることは言うまでもありません。たとえば、毎時100キロメートルで走ることができるわが国の道路延長が、面積あたりドイツの5分の1しかないことは、国民経済的に大きなハンディなのですが、さらにそれに加えて延長に現れない幅員、車線数など「質」というべきものに、残念ながらきわめて大きな差があることも認識しておきたい、と思います。

≪第18号:2008 年(平成20 年)6 月≫

厳しい自然条件を克服してこそ


中国の四川省を中心とした大地震では、想像を絶する被害と死者数に圧倒されるばかりでした。わが国でも地震が相次ぎ、新しい地震があるたびに、新しいタイプの被害を経験させられています。自然の力の大きさに改めて人の小ささを思わずにはいられません。

 

中国は、このような地震や洪水などの自然災害の経験を豊富に持っています。大災害と政治の有り様を結びつけるような考え方も昔からあります。中央アジアの乾燥地帯から連なる大陸国ですから、異民族との度重なる紛争や戦争による大量殺戮の経験があるうえに、自然災害によっても多くの人が死に、苦しんできた歴史があるのです。

 

中国やわが国は、自然災害に苦しめられ、歴史的にも多くの命を失ってきましたが、現在の世界文明を作り上げた西欧諸国には、その経験があまりないのです。地震といえば、チリやトルコ、カリフォルニアでも大地震が発生しているので、世界中で起こっているような印象がありますが、ヨーロッパではほとんど起こっていません。

 

モスクワ、ベルリン、パリ、ロンドンといった諸都市は有史以来大きな地震を経験していません。これらの都市をサイクロンやハリケーンが襲うこともありません。ということは都市を構成する建築物や橋などの構造物の設計において、地震や強風を考慮に入れる必要がないことになります。

 

耐震設計偽装事件がいまだに尾を引いていますが、この事件で明らかになったように、地震力を考慮するか否かが、建物の価格を大きく左右します。あの事件では、少し割り引いただけでかなり安くなったのですから、これをゼロにすれば、どれほど安くビルや橋を造ることができるでしょう。

 

さらに、先ほどの都市には、いわゆる軟弱地盤がありません。わが国では東京や大阪など都市のほとんどが軟弱地盤上にあり、ビルを建てようとすると長い杭を打たなければならないのですが、彼の地ではまったくといっていいほどその必要がないのです。

 

厳しい自然条件を嘆くのではなく、これを克服して、努力して使いやすい国土を後世に残していきたいものです。この厳しさゆえに、優れた勤勉性を身につけてきたのですから。

≪第19号:2008 年(平成20 年)8 月≫

緑の道路景観で心豊かに

「景観法」というすっきりとした名前の法律が制定され、わが国も本格的に景観の改善に乗り出すことになりました。景観とは、家の窓からの眺めなどいろんな視点からの議論が可能ですが、都市景観、地域景観といった場合には、道路からの眺めの善しあしで評価されることが多いのではないかと思います。残念ながら、わが国の道路の沿道景観は、西欧諸国などと比べて決して美しいものとは言えないのが現状です。

 

路側に林立する看板を初め、沿道建築物の色彩や形状の統一感のないけばけばしい風景は、ドライバーや歩行者の精神状態に悪い影響を与えているのではないかと心配しています。環境心理学という学問分野があります。原色を使った部屋に閉じこめられたりすると、気分が悪くなったりするように、どのような周辺環境のもとで過ごしているかは、人の心理に大きな影響を与えることが知られています。

 

山の恵みや植物の実りのおかげで暮らしてくることができたわれわれは、緑の風景に接していると、安心感や落ち着きが出てくるように脳が設計されていると聞いたことがあります。街路樹などの沿道林が成長していたり、遠景が緑豊かであることは、地球環境問題などと大げさな構え方をしなくても、安全に運転できたり、楽しく自転車に乗ったり、気持ちよく歩いたりできる環境を提供している効果が大きいと考えます。

 

藤原正彦氏の「国家の品格」は大ベストセラーになりましたが、このなかに、優れた数学者は幼年期に美しい環境のなかで育っているという共通点があると書かれています。幸いにも、この国は、乾燥化に悩む国とは異なり、ほとんどの地域で自然に任せておくと草が生え、林や森に変わっていくのですから、美しくなる素質に恵まれた国なのです。

 

江戸時代や明治時代に日本にやってきた外国人は口をそろえて、この国の手入れされた美しさを称賛していきました。その国に生まれ育ったわれわれが、次の世代により緑豊かな美しい環境を残していかなければ、世代としての面目が立たないと考えます。

 

儲け主義を前面に押し出した看板に取り囲まれた醜悪で無秩序な姿から、心豊かにしてくれる緑に包まれた道路景観を育てていく努力を続けたいものです。

≪第20号:2008 年(平成20 年)10 月≫

「公共」の発見と共同体経験の欠如

藤原京から平城京に都が移ったのは、710年のことでしたから、まもなく遷都1300年を迎えます。最近、平城京跡が国営公園に指定されたり、2010年の遷都記念事業が閣議了解されるなど、奈良・近畿地方では話題となっています。

 

都の造営に当たってお手本とした長安などが、市域全体を城壁で囲ったのに対し、藤原京も平城京も都城を持ちませんでした。このことは歴史を学ぶときに、実に簡単に「わが国では城壁で囲むことはしませんでした」とあっさり学ぶだけですが、これはさらりと触れるだけでは許されないほどの重要な違いだと考えます。

 

地域的に眺めると、中国にも朝鮮半島にも、ヨーロッパにも、ほとんどの都市には城壁がありましたし、時間の流れで見れば、文明の始まりの一番最初の頃から第一次世界大戦の終わりの頃まで、すべての時代に都市城壁があったのです。日本以外では、文明国では、いつの時代にもどこの国でも、都市は壁で囲まれていたのでした。大きな都市では、壁の延長は何十キロにもなり、高さも30メートル近くに達するものもあったのですから、この建設の困難さは想像を絶するものがあります。

 

城壁の中という狭い区画のなかに大勢の人が肩を寄せ合うように暮らし、いざというときに団結して外敵にあたるためには、共同体を運営するためのルールがどうしても必要となりました。つまり巨大な壁の中に住まなければ命が危ういため、まず、城壁という装置としてのインフラを発明・導入し、さらに、狭い領域の中に人がまとまって暮らすための法律・命令という制度としてのインフラを開発する必要が生じたのでした。

 

平城京に欠けていたものは、目に見える壁だけではなく、城壁などの装置インフラが不可欠的に重要であるという認識と、壁の中に住む皆が強い規制の下に共同体を構成するという意識、言い換えれば「公共」だったのです。

 

グローバル化していく時代に、われわれ以外の世界のすべての人々が共有している装置インフラ観と、共同体経験を欠いているという認識はきわめて大切だと考えています。

≪第212008 年(平成20 年)12 月≫

安心な道路へ「事前通行規制」

道路を走っていると、山岳部などでは「この道路は連続雨量が××ミリメートルになると通行ができなくなります」という意味の看板に出合うことがあります。これは道路ぎわの斜面などが大雨によって崩れることがあり、その場所での経験から××ミリメートルになると崩落の可能性が高くなることがわかっているために、通行する車などがその危険に遭わないように、あらかじめ交通を遮断してしまうというもので、公安委員会ではなく道路管理者が道路法を根拠に行っている規制です。

 

崩れて物理的に通れなくなっているならともかく「過去に崩れたから」「崩壊する危険があるから」というだけで走れなくするのはひどいではないか、と思われる人も多いかもしれません。実は、これは過去の事故に基づく高裁の判決から発した規制なのです。

 

昭和43年8月に岐阜県内の国が管理する国道41号で、後に「飛騨川バス転落事故」と呼ばれることになった事故が起こりました。当時、事故があった場所では、豪雨のため落石や土砂崩れが発生し、それに挟まれて観光バス6台が走行をやめて路肩に止まっていました。

 

ところが、そこは渓流の出口にあたる場所であったため、豪雨によって生じた土石流が道路に達し、止まっていたバスのうち2台を押し流しました。乗客や乗務員の104人が命を落とすという、バス事故史上最悪の事故となったのでした。

 

この事故については、いくつもの裁判が行われましたが、道路管理を問う裁判も提起され、国は事故は予見不可能だったと主張しました。しかし、予見は不可能でも危険の可能性があれば通行を止めることはできたはずだ、とする高裁判決を受け入れ、上告を断念したのです。

 

こうして世界にまず例のない「事前通行規制区間」が全国に設けられることになり、ネットワークが十分ではない間地域ほど、雨による交通遮断を余儀なくされているのです。四国は雨も多いし山間部も多い地方ですが、ここでは国管理の道路延長の12%もが事前通行規制となっていますし、県が管理する道路では22%にも達しています。従って、地方ほど、いつでも安心して使える道路がほしい、との要求が切実なのは当然なのです。

≪第22号:2009 年(平成21 年)2 月≫